ずっと「誰かのため」に生きてきた

気が付けば50代。
振り返ると、これまでの人生は、**「家族のため」「誰かのため」**でいっぱいでした。
子どもが小さい頃は毎日がめまぐるしく、夫や親のサポート、仕事、家事……自分のことはいつも後回し。
「母だから」「妻だから」「長女だから」「職場の頼れる存在だから」“誰かの役に立つ自分”でいることが当たり前になっていました。
気付けば自分の予定や希望は、いつの間にか手帳の隅っこに小さく書かれているだけになっていました。

あなた、最近なにか自分のためにしたことある?
そう聞かれて、返事が出てこない自分に驚きました。
その瞬間、胸の奥が少し寂しくなって。同時に「今からでも遅くないかな?」そんな気持ちが、そっと湧き上がってきたのです。
自分のための予定を立てる

次の日、意識して“自分のための予定”を作ることにしました。
最初にやってみたのは、本屋さんへ寄ること。
昔から本が好きだったのに、気がつけば図書館も本屋さんも、家族の用事でしか行かなくなっていました。
久しぶりに自分だけのペースで本棚を眺めると、ワクワクする気持ちが、ふわっと蘇ってきました。
新しい小説、家計管理の本、かわいいエッセイ。手に取るだけで「これ、面白そう」「こんな暮らし方もあるんだ」自分の中の世界が広がる感覚。

「この本、読んでみよう」
たったそれだけのことで、”小さなご褒美”をもらったような嬉しさがありました。
「自分時間」に感じる小さな罪悪感

最初のうちはどこか“罪悪感”もありました。
- 家族のご飯、ちゃんと作らなきゃ
- 両親の様子、気になるな
- 私がいないと困るんじゃないかな
そうやって“自分のため”の時間を作ることに、まだまだ慣れず、「誰かに遠慮しながら過ごしている」自分がいました。
けれど、勇気を出して「今日は本屋さんでちょっと寄り道するね」と家族に伝えたとき、「いいね!たまにはお母さんも好きなことしておいでよ」「美味しいコーヒーでも飲んできたら?」
そんな言葉をかけてもらって、心がほぐれるのを感じました。
やさしいわたしを、許してあげよう。

その日から、週に一度は「自分のための時間」を意識的に作るようになりました。
例えば――
- カフェでひと息つく
- 趣味の手芸や編み物をする
- 気になっていた映画を観る
- 公園でひとりでぼんやりする
- 日記やブログに“思ったこと”を書いてみる
驚いたのは、「私が楽しそうにしていると、家族もどこか安心している」ことでした。「お母さん、今日明るいね」「最近、よく笑ってる気がする」そんな何気ない一言が、また私の背中を押してくれました。
「自分の時間」が“家族のため”にもなる

“自分のため”と“家族のため”は、決して反対ではなく、
むしろつながっているのだと感じます。
私が笑顔でいられると、家族も心地よく過ごせる。
私が充実していると、子どもたちも「大人になるのが楽しみ」と思ってくれる。
50代からは「人生の主役」を自分に戻すチャンス。
それは、贅沢でもワガママでもなく、
自分自身を大切にするための「新しい選択肢」なのだと思います。
小さな「私のため」を始めてみませんか?

もし今、この文章を読んで
「私も、何か変えたいな」と感じたのなら――
今日から、たった5分でもいいので
「自分のため」の予定を作ってみてください。
特別なことでなくて大丈夫。
・お気に入りのお茶をゆっくり味わう
・好きな音楽をひとりで聴く
・短い日記を1行だけ書いてみる
そんな小さな“私の時間”の積み重ねが、
きっとあなたの「今」を、少しずつやさしく変えてくれます。
最後に。
誰かのために一生懸命生きてきたあなたが、
これからは「私のため」にも、
やさしい時間と、笑顔をプレゼントできますように。
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